朝11時30分に起床。
今日は、ニューヨークへ来て初めてのアルバイトの日――のはずだった。
ところが先方の手違いで延期に。
少し拍子抜けしたものの、風邪気味だった自分には結果的にちょうどよかった。
食事を済ませ、もう一度眠る。
目が覚めたのは午後3時過ぎ。
体調はかなり楽になっていた。
午後は読書。
梁石日の『終わりなき始まり』上下巻を読み終えた。
在日コリアン二世を主人公にした作品である。
自分には、在日コリアンの方々に対する偏見や差別意識はない。
しかし、理由のない偏見や差別を受け続けることがどれほど苦しいかは、想像することしかできない。
当事者ではない以上、その苦しさを軽々しく語ることはできないとも思う。
その一方で、この作品の主人公には最後まで共感できなかった。
自分を「中途半端でだらしない」と責め続けながら、破滅的な生活を送り、そこから抜け出そうとしない。
その姿にもどかしさを感じた。
学生時代、塾講師のアルバイト先で国語を教えていた五十代の先生が、ふとした時に言った。
「俺は、お釣りで生きている。」
学生運動に情熱を注いだ青春時代を振り返っての言葉だった。
その一言は、一瞬かっこよと思った反面、強い憤りのようなものも同時に感じた。
「いつまで過去にとらわれとるんじゃ!」
今回の主人公に感じた違和感は、その時の気持ちに少し似ていた。
唯一心を動かされたのは、主人公を愛する女性が「真実ではないもの」を強く拒絶する姿だった。
結局、最後まで少し苛立ちながら読み終えた一冊だった。
……とはいえ、主人公のような破滅的な生活を「少しだけ」経験してみたい気持ちが、まったくないわけではない。
もっとも、「少しだけ」と言っている時点で、それはもう破滅ではないのかもしれない。
夜はYさん、Tさんと話をする。
本の感想から始まった会話は、いつしか男女観についての議論へ。
本を読んで気持ちが高ぶっていたこともあり、話し終えた後に少し嫌な後味が残ってしまった。
そのせいだろうか。
夜、不思議な夢を見た。
舞台は小学校の理科の授業。
凧揚げを観察し、飛び方を記録する課題だった。
ところが僕は、凧の絵をふざけて面白く描いて遊んでいる。
それを友人のS君が、なぜか教頭先生に告げ口する。
悪いことをしたつもりはなかったので、その絵を堂々と見せると、教頭先生は笑って言った。
「うん、上手だね。いいよ。」
心の中で、
「ほら、別に悪くないじゃないか。」
とS君へ勝ち誇る。
しかし、提出しようとした瞬間、本来の目的の記録を書き忘れていることに気付く。
猛烈な自己嫌悪。
そこで、はっと目が覚めた。
目覚めた後、真っ先に思った。
昨日の議論で気分を悪くさせてしまったかもしれない。
今日、YさんとTさんに謝ろう。
この日記を書いているのは、その翌朝。
体調はかなり回復した。
あと一日、ゆっくり休もうと思う。
それでは、おやすみなさい。


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