NY通信Vol.177:変な夢!

ニューヨークのアパートで読書をしながら体を休める留学生。

朝11時30分に起床。

今日は、ニューヨークへ来て初めてのアルバイトの日――のはずだった。

ところが先方の手違いで延期に。

少し拍子抜けしたものの、風邪気味だった自分には結果的にちょうどよかった。

食事を済ませ、もう一度眠る。

目が覚めたのは午後3時過ぎ。

体調はかなり楽になっていた。

午後は読書。

梁石日の『終わりなき始まり』上下巻を読み終えた。

在日コリアン二世を主人公にした作品である。

自分には、在日コリアンの方々に対する偏見や差別意識はない。

しかし、理由のない偏見や差別を受け続けることがどれほど苦しいかは、想像することしかできない。

当事者ではない以上、その苦しさを軽々しく語ることはできないとも思う。

その一方で、この作品の主人公には最後まで共感できなかった。

自分を「中途半端でだらしない」と責め続けながら、破滅的な生活を送り、そこから抜け出そうとしない。

その姿にもどかしさを感じた。

学生時代、塾講師のアルバイト先で国語を教えていた五十代の先生が、ふとした時に言った。

「俺は、お釣りで生きている。」

学生運動に情熱を注いだ青春時代を振り返っての言葉だった。

その一言は、一瞬かっこよと思った反面、強い憤りのようなものも同時に感じた。

「いつまで過去にとらわれとるんじゃ!」

今回の主人公に感じた違和感は、その時の気持ちに少し似ていた。

唯一心を動かされたのは、主人公を愛する女性が「真実ではないもの」を強く拒絶する姿だった。

結局、最後まで少し苛立ちながら読み終えた一冊だった。

……とはいえ、主人公のような破滅的な生活を「少しだけ」経験してみたい気持ちが、まったくないわけではない。

もっとも、「少しだけ」と言っている時点で、それはもう破滅ではないのかもしれない。

夜はYさん、Tさんと話をする。

本の感想から始まった会話は、いつしか男女観についての議論へ。

本を読んで気持ちが高ぶっていたこともあり、話し終えた後に少し嫌な後味が残ってしまった。

そのせいだろうか。

夜、不思議な夢を見た。

舞台は小学校の理科の授業。

凧揚げを観察し、飛び方を記録する課題だった。

ところが僕は、凧の絵をふざけて面白く描いて遊んでいる。

それを友人のS君が、なぜか教頭先生に告げ口する。

悪いことをしたつもりはなかったので、その絵を堂々と見せると、教頭先生は笑って言った。

「うん、上手だね。いいよ。」

心の中で、

「ほら、別に悪くないじゃないか。」

とS君へ勝ち誇る。

しかし、提出しようとした瞬間、本来の目的の記録を書き忘れていることに気付く。

猛烈な自己嫌悪。

そこで、はっと目が覚めた。

目覚めた後、真っ先に思った。

昨日の議論で気分を悪くさせてしまったかもしれない。

今日、YさんとTさんに謝ろう。

この日記を書いているのは、その翌朝。

体調はかなり回復した。

あと一日、ゆっくり休もうと思う。

それでは、おやすみなさい。

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