俳優がカレーのお店を出しました(6)九州支店

九州支店開始!

2015年3年目でようやく黒字になりました。ほっとしつつ2016年突入です。

4年目になると慣れたもんです。発注から発送迄1~2時間、在庫用意で月5日間、売上も毎月20万円弱と安定してきました。

あくまで売上ですので利益はほんの少しです。でも本当にありがたいことです。


すみません、しばし思い出話にお付き合いください。後の新商品にも関係しています。

私の実家は九州大分、温泉で有名な湯布院、、の隣町です。出身町は誰もご存じないので、こう紹介しています。

私の実家はイチゴ農家です。父が脱サラしてイチゴを作り紆余曲折を経て、湯布院の有名旅館に卸す迄になりました。

卸すのはデラックスというゲンコツくらいある甘くて大きいイチゴだけです。

父は高校卒業後ずっと某電器会社のサラリーマンでした。

「お父さんは同期で一番若くして支店長になったのよ」

母がいつも自慢する、働き者の父です。

その父が40歳くらいの時に「土いじりがしたい」とイチゴ作りを始めました。会社も辞めるつもりだったらしいです。

当時、高校生の私を筆頭に3人も息子がいましたので、母は心配しこう提案しました。

「平日は私たちでやります。会社を辞めるのはちょっと待って」

私が高校生の時です。それから家族総出で手伝いました。

当時はおじいも存命、ちなみにおばあは98の現在も元気いっぱいです笑。

お手伝いでしたが、図らずもイチゴ農家の立ち上げに立ち会うことになりました。

案の定大変でした。立ち上げはなんでも大変なんですね。

ビニールハウスや耕運機、水やり機等、設備はまだ何もありません。

ただの畑、露地栽培です。畑を鍬(くわ)で耕し、畝(うね)を作り、イチゴの苗を植える。

夏の炎天下、水やりは近くの水路から、家族総出でバケツリレー笑。

土日は父も加わり畑仕事です。父は休みなし。今考えるとすごいです笑。

苗がある程度育ったら、別の畝(うね)に植え替えます。なぜ植え替えるのか?それが先人の積み重ねてきた理にかなった育て方らしいです。

イチゴは繊細でちょいちょい病気もします。

私たち息子も家にいる時は手伝いましたが、学校や部活で忙しい。

そこで真面目でとても仕事ができる母が、驚異の頑張りを見せます。徐々に主導権を握っていきます。

「現代農業」という農家のバイブル雑誌を購読し勉強します。

肥料にも、消毒液にもできるだけ化学合成のものを使わなくていいよう工夫を施し、全てを改良していきました。

後、父は母のことを「社長」と呼ぶようになり、ビニールハウス4棟の隣に育苗場、

実家の隣には「千代ちゃん工房」なる母の名前冠した作業場まで作りました笑。

ちなみに両親はまだ元気に生きています笑。私たち息子の誇りです。思い出話終わります。


スパイスのお仕事も落ち着き、私は勤め人でもないので時間の融通がききます。

2か月に一度、イチゴのお手伝いをするため格安航空を使い実家に帰っていました。

その都度、東京からスパイスを九州に送り、発送していました。在庫が切れたり余ったり、不都合もありました。

うーん、これは改善の余地ありだなぁとは思っていました。そこで

♪そうだ、九州支店を作ろう

と思い立ちました。もともとスパイスは保存がきくし、2か月に一度は来るので大丈夫。

実家に保管場所はいくらでもあります。イチゴのため小屋ほど大きい冷蔵庫もあります。

何より西日本から注文が入った場合、送料が安くすみます。

在庫がまた多くなってしまうので踏み出せませんでしたが、自分の枠を広げなければね。こうして九州支店が完成しました。

これで実家に戻るたびにスパイスを用意する必要がなくなりました。時々支店の在庫状況を見ながら補充すればいいんです。

仕入れ先と売上結果

仕入れ先の開拓は人それぞれでしょう。

私もスパイスの仕入れ先を探し、ネット検索もしましたが、今一ピンときません。検索ベタなんです。

近所の商店街にあるインドカレー屋さんに行きました。美味しいスパイスカレーを食べながら店員さんとお喋りしました。

「美味しいですね、このカレー実はスパイスカレー屋さんをやりたくて、スパイスはどこで仕入れているんですか?」

図々しくお聞きしました。

「あー、新大久保にお店があるんですよ、スパイスのお店が。」

と親切に場所まで説明してくださいました。早速行ってみました。

バラヒフーズアンドスパイスセンターというお店で、スパイスの品揃えが素晴らしかった。

タモリ倶楽部でも紹介されたことのある、新大久保界隈の代表的なお店でした。

その後日本語ぺらぺらの店長さんとも仲良くなり、スパイスの事から何から、いろいろご相談もさせてもらいました。本当にありがたかったです。

毎回仕入れに行くたび、愛車の赤ベスパにスパイスをどっさりのせて帰ったものです笑。

最初はそんな感じで体当たりで仕入先を開拓していました。懐かしいです。

今はネットも駆使し、いろいろな仕入先からその時々に応じて仕入れています。

でも体当たりで開拓した新大久保のお店は思い入れもあり、時々通っています。

そんなこんなで2016年の売上結果は230万円!利益45万円でした。

前年より少しアップ。引き続きがんばります。ここまでお読み頂きありがとうございました。

翌2017年テコ入れをします。次回書きます。よろしければ是非ご覧くださいね。

次回「俳優がカレーのお店を出しました(7)5年生存率」

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